開催レポート
9月23日(土)
会場:十和田市・奥入瀬森のホテル
2023年9月23日 セミナー①「ファッションの持つエネルギー」
「遊び心」で楽しませる/コシノジュンコさん
2023年9月23日 セミナー①「ファッションの持つエネルギー」
「遊び心」で楽しませる/コシノジュンコさん
私が初めてパリコレクションに出たのは、1978年のことです。パリでは既に高田賢三さんが活躍していて、日本をテーマにすると二番煎じになってしまうので、日本のルーツである中国でテーマを探すことにしました。
文化大革命が終結して間もない頃の中国には何もなく、「えらい所に来てしまった」と感じましたね。しかし現地で聞いた音楽がとてもすてきで、自分の中でイメージが湧いてきたのです。パリコレでもその曲を使いました。フィナーレには銅鑼(どら)の音。自分の好きなことを盛り込み、面白いショーができました。パリコレに参加しているデザイナーは何人もいますが、自分だけのオリジナリティーを見せることは重要です。これはどんな仕事でも一緒だと思います。
このショーを足掛かりに、85年にはファッションという概念すらなかった北京で、96年にはキューバでショーを開きました。キューバで演出を担当した現地プロデューサーの「今は夢、明日は歴史」という言葉は、今でも忘れられません。
そして私がパリコレで日本をテーマにしたのは、「フランスにおける日本年」だった98年です。この時に使ったのは、四国の藍染。このような独特の物は、決して古くなることがありません。良い物は永遠に良いのです。
現在、今年30周年を迎えた和太鼓集団「DRUM TAO」の衣装デザインを手掛けています。初めて公演を見に行った時、「衣装を変えたらもっと面白くなるはず」と、ピンと来ました。とにかく見せがいがある。私の衣装になってから、ブロードウェイ公演も果たしました。ユニフォームを着るということは、心が一つになるということ。もともと素晴らしい演奏技術を持っていますが、衣装を着るとスイッチが入るそうです。
TAOの北京公演には、85年の私のショーに携わった人たちがたくさん来てくれて、まるで同窓会のようでした。当時の中国には美容師という職業もなかったのに、今はファッションに関する仕事は数多くあり、モデルの宝庫です。ファッションの力の大きさを感じました。
私が常に大切にしているのは「遊び心」。自分に遊び心がないと、人を楽しませることはできません。着てうれしくなる、前向きになれる服を作るには、ちょっとした遊びのセンスが要ります。「こんなことしても無駄じゃないかな」という無駄が、格好いいのです。無駄を取り払って常に真面目にしているだけでは、何も始まらないと思います。
最後に皆さんに伝えたいことがあります。私はよく「かきくけこ」と表すのですが、常に感謝、希望を持つ、くよくよしない。また、健康は財産です。お金がいっぱいあっても健康でなかったら使い道がありません。そして思ったら行動する。行動することで初めて結果が出ます。いい考えが浮かんだら、自信があるかないかよりも、まず口に出してみましょう。
年齢ではなく、元気で生き生きとしていることが若さであり、若さがあれば何でもできるのです。皆さんにとって、今日が一番若い日。何かを始めるなら明日ではなく、今なのです。
プロフィール
こしの・じゅんこ 1978年から22年間パリコレクションに参加。以降、世界各国でショーを開催。オペラ「魔笛」「蝶々夫人」、ブロードウェイミュージカル「太平洋序曲」の舞台衣装などのデザインを手掛けるほか、国内被災地への復興支援活動も行う。VISIT JAPAN大使、2025年日本国際博覧会協会シニアアドバイザー、文化庁「日本博」企画委員、文化功労者。2022年旭日中綬章受章。
文化大革命が終結して間もない頃の中国には何もなく、「えらい所に来てしまった」と感じましたね。しかし現地で聞いた音楽がとてもすてきで、自分の中でイメージが湧いてきたのです。パリコレでもその曲を使いました。フィナーレには銅鑼(どら)の音。自分の好きなことを盛り込み、面白いショーができました。パリコレに参加しているデザイナーは何人もいますが、自分だけのオリジナリティーを見せることは重要です。これはどんな仕事でも一緒だと思います。
このショーを足掛かりに、85年にはファッションという概念すらなかった北京で、96年にはキューバでショーを開きました。キューバで演出を担当した現地プロデューサーの「今は夢、明日は歴史」という言葉は、今でも忘れられません。
そして私がパリコレで日本をテーマにしたのは、「フランスにおける日本年」だった98年です。この時に使ったのは、四国の藍染。このような独特の物は、決して古くなることがありません。良い物は永遠に良いのです。
現在、今年30周年を迎えた和太鼓集団「DRUM TAO」の衣装デザインを手掛けています。初めて公演を見に行った時、「衣装を変えたらもっと面白くなるはず」と、ピンと来ました。とにかく見せがいがある。私の衣装になってから、ブロードウェイ公演も果たしました。ユニフォームを着るということは、心が一つになるということ。もともと素晴らしい演奏技術を持っていますが、衣装を着るとスイッチが入るそうです。
TAOの北京公演には、85年の私のショーに携わった人たちがたくさん来てくれて、まるで同窓会のようでした。当時の中国には美容師という職業もなかったのに、今はファッションに関する仕事は数多くあり、モデルの宝庫です。ファッションの力の大きさを感じました。
私が常に大切にしているのは「遊び心」。自分に遊び心がないと、人を楽しませることはできません。着てうれしくなる、前向きになれる服を作るには、ちょっとした遊びのセンスが要ります。「こんなことしても無駄じゃないかな」という無駄が、格好いいのです。無駄を取り払って常に真面目にしているだけでは、何も始まらないと思います。
最後に皆さんに伝えたいことがあります。私はよく「かきくけこ」と表すのですが、常に感謝、希望を持つ、くよくよしない。また、健康は財産です。お金がいっぱいあっても健康でなかったら使い道がありません。そして思ったら行動する。行動することで初めて結果が出ます。いい考えが浮かんだら、自信があるかないかよりも、まず口に出してみましょう。
年齢ではなく、元気で生き生きとしていることが若さであり、若さがあれば何でもできるのです。皆さんにとって、今日が一番若い日。何かを始めるなら明日ではなく、今なのです。
プロフィール
こしの・じゅんこ 1978年から22年間パリコレクションに参加。以降、世界各国でショーを開催。オペラ「魔笛」「蝶々夫人」、ブロードウェイミュージカル「太平洋序曲」の舞台衣装などのデザインを手掛けるほか、国内被災地への復興支援活動も行う。VISIT JAPAN大使、2025年日本国際博覧会協会シニアアドバイザー、文化庁「日本博」企画委員、文化功労者。2022年旭日中綬章受章。
2023年9月23日 セミナー②「リフレーミングで自分らしい生き方のススメ」
環境が人を明るくする/戸倉蓉子さん
2023年9月23日 セミナー②「リフレーミングで自分らしい生き方のススメ」
環境が人を明るくする/戸倉蓉子さん
「リフレーミング」という言葉の意味を調べると、ネガティブな思想をポジティブに置き換えて、相手を思いやったり自分に自信が持てたりする考え方の癖を身に付けること―とあります。「年だから」を「この年だからできる」、「やったことがない」を「だから挑戦してみよう」、「失敗したらどうしよう」を「力試しだ」。こうした発想の転換を習慣化することで、自分らしく輝けるのではないでしょうか。
私は小学生の時にナイチンゲールの本を読んで感激し、看護学校に進みました。夢をかなえて慶應義塾大学病院に就職したものの、担当していた白血病の女の子は闘病が苦しく、なかなか笑ってくれませんでした。そんなある日、ベッドサイドに彼女が好きなガーベラの花を飾ってみると、初めて笑顔を見せてくれたのです。当時の病院は殺風景でしたが、環境が人の気持ちを明るくさせると実感し、病院の環境改善に取り組むために退職を決めました。
建築の道を目指して設計事務所に応募したものの、不採用の嵐。それでも前を見るしかないと思っていたところ、インテリアコーディネーター募集のポスターを見つけ、事務所に飛び込んで翌日から働きました。実際はリフォームから営業、現場監督までやる完全歩合制の営業職。辞めていく人もたくさんいましたが、私は諦めずに頑張りました。そうすると少しずつ大きな仕事ももらえるようになり、1991年に独立しました。
しかし仕事をしているうちに、自分には学びが足りないと痛感するようになったのです。そこでお金をためて35歳でイタリア・ミラノに渡り、建築大学で学びながら建築家のパオロ・ナーバさんに弟子入り。言葉には苦労しましたが、大きな夢があったのでくじけることはありませんでした。学んだことを生かして、豊かな住環境や病気にならない環境をつくろうと思い帰国し、設立したのが女性一級建築士だけの事務所です。
その後、人間ドックに特化した病院をプロデュースする機会に恵まれました。院内にカフェや映画館、温泉を作ったほか、「旅する病室」をコンセプトに、病室に世界のインテリアを織り交ぜました。しばらくすると、その病院がある高崎市の健康レベルが上がり、生活習慣病の罹患率が下がったのです。健康にいい病院があると、社会は変わると感じました。
最後に私なりのリフレーミングのポイントをお伝えします。一つ目は「一生かけて取り組めるテーマがあるか」。看護師でも建築家でも、人を元気にすることが私の使命だと思っています。次に「そこに向かう情熱があるか」。スペインの建築家アントニオ・ガウディは、生きているうちに絶対に完成しないサグラダ・ファミリアを設計しました。200年後でも誰かが引き継いでくれれば良いという思いで後世に残すものを考えたことは、格好良いと思います。
三つ目は「誰かのせいにしない生き方」。全ては自分の選択と腹をくくって行動したら、人生は動き出します。そして、自分を少し上の方から見てあげてください。人生が成功に向かうよう、自分を応援してあげることが大切です。
プロフィール
とくら・ようこ 福島県出身。看護師時代、「病院の環境を明るく変えたい」とインテリアの世界に飛び込み、イタリア・ミラノで世界的建築家パオロ・ナーバ氏に師事。40歳で一級建築士免許取得。現在は株式会社ドムスデザイン代表取締役を務める。
私は小学生の時にナイチンゲールの本を読んで感激し、看護学校に進みました。夢をかなえて慶應義塾大学病院に就職したものの、担当していた白血病の女の子は闘病が苦しく、なかなか笑ってくれませんでした。そんなある日、ベッドサイドに彼女が好きなガーベラの花を飾ってみると、初めて笑顔を見せてくれたのです。当時の病院は殺風景でしたが、環境が人の気持ちを明るくさせると実感し、病院の環境改善に取り組むために退職を決めました。
建築の道を目指して設計事務所に応募したものの、不採用の嵐。それでも前を見るしかないと思っていたところ、インテリアコーディネーター募集のポスターを見つけ、事務所に飛び込んで翌日から働きました。実際はリフォームから営業、現場監督までやる完全歩合制の営業職。辞めていく人もたくさんいましたが、私は諦めずに頑張りました。そうすると少しずつ大きな仕事ももらえるようになり、1991年に独立しました。
しかし仕事をしているうちに、自分には学びが足りないと痛感するようになったのです。そこでお金をためて35歳でイタリア・ミラノに渡り、建築大学で学びながら建築家のパオロ・ナーバさんに弟子入り。言葉には苦労しましたが、大きな夢があったのでくじけることはありませんでした。学んだことを生かして、豊かな住環境や病気にならない環境をつくろうと思い帰国し、設立したのが女性一級建築士だけの事務所です。
その後、人間ドックに特化した病院をプロデュースする機会に恵まれました。院内にカフェや映画館、温泉を作ったほか、「旅する病室」をコンセプトに、病室に世界のインテリアを織り交ぜました。しばらくすると、その病院がある高崎市の健康レベルが上がり、生活習慣病の罹患率が下がったのです。健康にいい病院があると、社会は変わると感じました。
最後に私なりのリフレーミングのポイントをお伝えします。一つ目は「一生かけて取り組めるテーマがあるか」。看護師でも建築家でも、人を元気にすることが私の使命だと思っています。次に「そこに向かう情熱があるか」。スペインの建築家アントニオ・ガウディは、生きているうちに絶対に完成しないサグラダ・ファミリアを設計しました。200年後でも誰かが引き継いでくれれば良いという思いで後世に残すものを考えたことは、格好良いと思います。
三つ目は「誰かのせいにしない生き方」。全ては自分の選択と腹をくくって行動したら、人生は動き出します。そして、自分を少し上の方から見てあげてください。人生が成功に向かうよう、自分を応援してあげることが大切です。
プロフィール
とくら・ようこ 福島県出身。看護師時代、「病院の環境を明るく変えたい」とインテリアの世界に飛び込み、イタリア・ミラノで世界的建築家パオロ・ナーバ氏に師事。40歳で一級建築士免許取得。現在は株式会社ドムスデザイン代表取締役を務める。
9月24日(日)
会場:十和田市・奥入瀬森のホテル
2023年9月24日
充実した人生のヒントは 奥入瀬サミットトークセッション
2023年9月24日
充実した人生のヒントは 奥入瀬サミットトークセッション
女性の活躍を応援するセミナー「奥入瀬サミット2023」(奥入瀬サミットの会主催)は最終日の24日、十和田市の奥入瀬森のホテルでゲスト講師と参加者約50人とのトークセッションを開いた。新たな挑戦や人材育成、居場所づくりなど多彩な話題を互いに語り合い、充実した人生のヒントを考えた。
トークセッションには女性スタッフのみで構成される建築事務所「ドムスデザイン」(東京)代表の戸倉蓉子さんがゲスト出演。奥入瀬サミットの会の対馬ルリ子会長、委員の吉川千明さんもテーブルに並んだ。
事前に募ったアンケートを基にテーマを設定。出席者はマイクを握り、新しいことに踏み出す決断を助言したり、活動の意気込みを語ったりした。
戸倉さんは仕事のコーチングに関し、「30、40代の時は会社を引っ張っていく気負いで、自分自身にもストレスだった」と振り返った。「彼女たちの自己実現や実力を発揮できる喜びを考え、自分の立ち位置を変えた」とやり方を見直し気が楽になった経験を披露。
対馬会長は「最後に『良い人生だった』と思えるには、自分が持っている力を本当に生かせたと思えると良い」と強調。「100歳の人生を明るく元気に、助け合って生きていきましょう」と呼びかけた。(舩渡拓)
【写真説明】戸倉蓉子さん(右奥)らと参加者が意見を交わしたトークセッション=24日、十和田市
トークセッションには女性スタッフのみで構成される建築事務所「ドムスデザイン」(東京)代表の戸倉蓉子さんがゲスト出演。奥入瀬サミットの会の対馬ルリ子会長、委員の吉川千明さんもテーブルに並んだ。
事前に募ったアンケートを基にテーマを設定。出席者はマイクを握り、新しいことに踏み出す決断を助言したり、活動の意気込みを語ったりした。
戸倉さんは仕事のコーチングに関し、「30、40代の時は会社を引っ張っていく気負いで、自分自身にもストレスだった」と振り返った。「彼女たちの自己実現や実力を発揮できる喜びを考え、自分の立ち位置を変えた」とやり方を見直し気が楽になった経験を披露。
対馬会長は「最後に『良い人生だった』と思えるには、自分が持っている力を本当に生かせたと思えると良い」と強調。「100歳の人生を明るく元気に、助け合って生きていきましょう」と呼びかけた。(舩渡拓)
【写真説明】戸倉蓉子さん(右奥)らと参加者が意見を交わしたトークセッション=24日、十和田市